早いもので今年も9月を迎え、夏の厳しいどころか激しいと言いたくなるような暑さは少し和らいできた。…なんてこともなく、まだまだ容赦ない日差しが照りつけている。苦痛を感じずに外出できる日が待ち遠しい。
息子を連れて散歩しながら、外の空気や景色を一緒に楽しませたいな〜と思っていたけれど、この気温だと連れ歩くのは怖い。
息子はまだ生後半年の赤ちゃん。
暑さによる不快感を自ら発信することはできない。
気づいたら暑さでぐったりしてしまうかも、と考えてしまうと真夏の外出には乗り気になれない。
息子はよく空をみている。
洗濯物を干す時には興味ありげにベランダの方へにじり寄ってくるので、家の中以外の世界にも興味津々なのだろう。
産まれてから一月程の頃から、布団で横になりつつも窓の外の空を眺めてぼーっと過ごしている子だった。
よく笑うようになり、表情が分かりやすくなってきたので、いろんな景色を見せてあげて表情の変化をたくさん拝ませて欲しい。
近所の風景も大冒険
暑さと日差しの和らいでくる夕方の時間に、息子を連れて妻と3人で買い物に出かける。
近所のスーパーへ行くだけでも、小さい息子を連れて行くならばそれなりに用意するものがあり、2人の時と比べて出掛けるのが大変になった。
この大変さを味わっている時間は意外と「ああ、私も親になったんだなぁ」と感じられるので満更でもない。
ただ、出掛ける直前にせっかく着せた可愛い服にうんち漏らすのだけは泣きたくなるので勘弁していただきたい。
可愛い服着せたな!うちの子おしゃれさん!と思った時にありがちな気がする。
たまにわかっててやってるんじゃないかとすら思う。
買い物程度の短い時間でも息子と外で過ごす時間は楽しくて仕方ない。
きょろきょろと周りを見渡すようにしている仕草をしていると、どんなことを考えているんだろうなぁと想像してしまう。
私たち大人にとっては日常的な風景だけれど、この子にとってはどんなふうに見えているのだろうか。
叶うことなら息子の視線を覗き見して日常生活を送ってみたい。いろんな再発見が見つかりそうだ。
息子はまだ産まれて間もないので、色んなものを実際に見て、世界がどんなものなのかを学ぶ日々を過ごしているのでしょう。
より良い世界を見ることができるように、親として綺麗なものをたくさん見せてあげたいなと思うばかりである。
買い物帰りの夕日
買い物帰りの家路を進む途中、息子は周りをきょろきょろ見回していた。
買い物中は抱っこ紐の中で寝息を立てていたけれど、やはり屋外は楽しいから色んなものを見ておきたいのかもしれない。
一生懸命に外の世界を知ろうとしている様子がとても愛らしい。
暑さによる負担をかけないように日陰を選んで歩いていたが、家に着くまでずっと日陰を進むというわけにもいかない。
どうしても陽に直接さらされるタイミングが出てきてしまう。
ぽーっとした顔で呑気に外を眺めて楽しんでいた息子だったけれども、日陰から飛び出すタイミングで陽の指す方向へ顔を向けてしまった。
日陰から一歩踏み出す両親。
陽に照らされる家族。
陽射しを顔に浴びてとても眩しそうな顔をする息子。
咄嗟に陽射しと反対方向へ顔を向け直した息子の様子を見て、我々夫婦は笑ってしまっていた。
あんな眩しそうな顔初めて見た。
そんな顔もできるんだねぇ。
眩しかったよね、ごめんね。なんて2人で声をかけつつも、眩しそうに慌てた顔が面白くて可愛くて顔のにやつきが止まらなかった。
動画に残しておきたかったなと悔しさを感じてしまう。
忘れないように何度も息子の顔を思い出しては笑う、ということを家に着くまで繰り返してしまった。
ただ日光が顔に当たって眩しかった、という日常のワンシーン。
それでも息子と一緒の日々はとても宝物のような大切な瞬間になった。
この日、息子は夕日を顔に浴びたら眩しいというのを理解できたかもしれない。
陽射しが眩しいなんて当然のことだ。赤ん坊がうんち漏らしちゃうのと同じくらい当然のことだ。だけど、息子にとって初めての出来事はまだまだ世界に溢れているということを教えてもらった気がする。
わざわざ言葉にするほどではない日常の当たり前を、息子と暮らす日々では再認識させられる。
最近はありきたりな日も、色々なことを再認識させてくれる息子がいるのですこし輝かしくみえるようになった。
今後も息子の新しい経験を横で見守ってあげたい。
それと同時に、世の中にはどんな当たり前が溢れているのかを息子と一緒に再認識して、忘れかけていた感覚をもう一度拾い集めていけたらいいな。