我が子はマダムキラーです。街ゆくマダムたちは我が子に話しかけずにはいられません。
我が子に限らずどの赤ん坊もそうなのかもしれません。
けれども、うちの子が極端に可愛いから道ゆくおばさま方が声をかけずにはいられないのだと考えることにしています。
買い物へ向かう途中の交差点で立ち止まった時、ショッピング中にエスカレーターを利用した時などに近くにたまたまいたおばさまが「可愛い子だねえ、今何ヶ月くらい?」とお声がけしてくれることが多い。
私がおらず、妻が子供を連れて出かける時にも高確率でおばさま方から話しかけられるらしい。
よその人から我が子を可愛いと褒めてもらえるのは結構嬉しいことである。
遠巻きにベビーカーの中を覗いて微笑んでくれるおばさまもたまにいるけれど、もっと近く寄ってみていいですよって言いたくなっちゃうくらい。遠慮がちに赤ちゃんを見てるおばちゃんの様子は割とかわいらしい。
我が子のことは自慢できる時に自慢しておきたいものなので、ぜひ自慢の我が子を覗いて「かわいい」と褒めていただきたい。
おばさまはなぜ声かけてくれるのだろうか
おばさま方が話しかけてくれた際によくある流れは「可愛い子だねえ」「何ヶ月くらい?」「むちむちだねえ」の後に、「自分のところの子供や孫の話」をしてもらうことが多い。
うちの子を見て、懐かしの我が子たちを思い出しているのだろう。
我が子が可愛くて仕方なかったであろう遠き日の思い出(そんな遠くないのかもしれないけど)を連想して嬉しくなるのかもしれない。
誰しも我が子や孫が一番可愛いという感覚は持っていておかしくないので、他人の家の子を見た時に自分家の子供の小さい頃を連想してしまうことは多いのではないだろうか。
私ももしかしたら数年後に親戚や友人の赤ちゃんを抱かせてもらったりした時に、我が子の生まれたばかりの姿を思い出してしまうのかもしれない。
すでにこの文章打ちながら、産まれてまだ数日、数ヶ月の我が子からふわふわと流れてくるミルクのような素敵な匂いと、ふにゃふにゃした泣き声を思い出してしまって涙が出そうになる。
自分の子供たちが可愛ければ可愛いほど、大事に育てていれば大事に育てているほど、他の子供と触れ合った時に連想する思い出も素敵なものが多くなるのではないだろうか。
子供はみんなかわいい
生まれたての赤ちゃんって冷静に見たら「可愛い顔」って言えないところもある。しわくちゃだしガッツ石松みたいだし。
それでも愛らしさを感じずにはいられないのは赤ちゃんのすごいところだ。
守られて育てられるだけの存在だと認識させられるので本当に不思議である。
自分の子供が一番かわいいのは当然だけど、よその子もとっても可愛く見えてしまう。
その子の笑顔が見たくて話しかけたりしたくなる。
外出中にニコニコとベビーカーに乗っている赤ちゃんと目があったら是非話しかけたいなぁと思うけれど、その子の親御さんの負担にはならないようにもしたいので悩ましいところ。
子育て中で色々大変な時に優しい言葉をかけられて、すこし気持ちが救われるような場面もあるかもしれないが、知らない人に話しかけられてもそれどころじゃないくらい疲れてるタイミングである可能性もある。
そもそも昨今は知らない人からのいきなりの声かけは結構警戒しやすいものでもあるし。
赤ちゃん連れた親御さんが近くにいる時に、お店のドアやエレベーターを抑えてあげたりとか、道を広く使えるようにどいてあげるとかなら自然にできそうなのでしていきたい。
よその子供だろうと、少しでも育児の何かしらの役に立てたら嬉しいので。
子供を育てるのって本当に大変だと日々感じるけれども、その大変な中のどこかで見知らぬ人の親切を感じられる場面があると救われるところもあるかもしれない。
直接ではなくて間接的ににはなるが、見知らぬ子の人生のどこかで少しばかし役に立つことができればいいなと思う今日この頃。
ニホンアカチャンは貴重だってSNSでも言われているし、親でも親戚でもない他人だったとしても、その子の成長に少しでも役に立てることをしてあげれたら嬉しいな。