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“泣く君”と“困る父”のあいだに

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言葉を発することができない赤ちゃんが我々に何かを伝えようとするときには、「泣く」ことが手段となる。
お腹が空いた、オムツが気持ち悪い、眠い、暑い寒い。
親はえんえんなく可愛い我が子をみて、泣いた理由はなんなのかな?お腹すいちゃったかな?泣いてる顔も可愛い可愛いだね!なんて考えながら、我が子が泣いてしまった理由を推測しようとするものです。

泣き喚く我が子をあやしながら、最後のご飯はいつだったか?とか、オムツの状態はどうだろうかとか、部屋の気温は適切かしら?とか確認しがちとは思いますが、思い当たる原因がないのに泣き続けることもあるあるです。
何が理由で泣いているかわからないまま、あやしても泣き続けられたりすると結構親としては困りはててしまいます。

不快な何かがあれば取り除いてあげたいし、満たされない欲があるのであれば叶えてあげたいけれど、えんえん泣いている我が子の求めているものがわからない時が一番どうしていいか答えが見つからず気分が滅入ってしまうのでないだろうか。

泣かないで赤ちゃん!!

泣いている我が子を落ち着かせようと、抱っこしたりおもちゃを目の前にちらつかせてみたりとすることは多いですが、それでも中々泣き止んでもらえない時があります。
抱っこして優しく声をかけて揺れたり撫でたりしながら落ち着かせようとするも、無慈悲に泣き続けられる時はどうしてもきてしまう。

親としては泣いているのをうまくあやすことができないと結構焦る。ほんと焦る。
自分までえんえん泣きたくなるくらい焦る。

そういう時には私のあやし方って下手なのかな?とか不安なことばかり考えてしまいがち。泣いている理由が自分にあるのではないかとすら思えるくらい、うまくあやせない自分を責めてしまう親は多いのではないでしょうか。
うまくあやせないとなんだか親として足りていないのではないかと思って自責思考に陥っちゃうのは我が家の二人だけではないと思いたい。

ぐずるときって本当に難しい。
そのくせ自分以外の誰かが抱っこしてあげるとすぐに泣き止んだりすることもあってさらにつらい。
旦那が抱っこすると落ち着く、妻が抱っこした時の方が寝てくれるとかあると、一緒に子育てしているパートナーだとしても、ちょっと嫉妬というか思うところはでてきちゃいますよね。
子育てはチーム戦だと考えたいし、夫婦間に子供のことで勝敗なんてないはずなのだけれど、自分のときはギャン泣きされて落ち着くことがなかった我が子がパートナーの腕ですっと落ち着いたら、「助かった」という気持ちと一緒に「なんで〜?」って気持ちも湧いてしまうもの。

泣いている理由を理解して、なんとか泣き止ませてあげたくはなるけれど、何してもギャンギャン泣かれちゃうとどうすることもできずに「泣かないで〜」と声をかけながら抱っこしてあげることしかできなくなっちゃいます。

赤ちゃんは泣くもの、赤ちゃんだもの

赤ちゃんは理由がなくても泣いてしまう。
そう考えているつもりではあるものの、実際泣かれるとどっしり気持ちを構え続けることは難しい。

泣いている我が子をあやして落ち着いてくれた時は嬉しいけれども、毎回うまくいくわけではない。
ある時はすぐに泣き止んで寝てくれた動きをしても、ある時は全く効果がなかったりするので、正解がわからなくなって気持ちが落ち込んでしまう。

父親の自分だって落ち込むんだから、母親の立場からするともっと落ち込むのではないだろうか。
いちばん一緒にいる存在なのに、何しても中々落ち着いて貰えないのは悲しい気分を生み出してしまいかねない。

泣いている我が子の顔も可愛いものだけれど、ずっと泣かれちゃうと疲れてしまうのである。
泣き顔も可愛いけど、笑顔はもっと可愛いんだから笑顔を見せておくれ。

コントロールは出来なくていいと考える

何が嫌で泣いているのかわからない時、子供も何が嫌なのかわかってないのかもしれないなと考えることがある。

まだ眠いとかお腹減ったとか、大人にとっては当たり前の感覚も、赤ちゃんたちにとっては未知の感覚なのだろう。

あなたも訳がわからなくて泣いているかもしれないけれど、お父さんだって訳がわからなくて困っているよ。
一緒に訳がわからんまま困ろうねえって考えながらあやしているとなんとなく救われる。
少なくとも、私はこう考えた方が自責なことは考えなくなった。

同じ課題に一緒に向き合っている感じというかなんというか。
泣き喚く我が子をあやして落ち着かせようとしていると、「泣いている我が子」vs「あやす父」みたいな感じだが、一緒にわけわかんなくなろうねえと考えると「泣く我が子」with「困る父」になれる気がする。
ぶつかり合うというよりは寄り添い合う仲間だと認識する感じになって、なんだか肩を組んでいるように思えてくる。

君の「わからない」を解決してあげることは叶わないかもしれないけれど、「わからない」ことに対して1人にしないであげることはできる。だからたくさん一緒に悩もうね、って我が子に伝えながらあやすことができたら、素敵だなぁと考えてしまう。
「泣かないで〜」よりも「安心してね!」ってあやせるくらいの余裕のある親として振る舞いたい。

君の人生のあらゆることに一緒に立ち向かう味方だよってスタンスを保つことは、我が子が成長する上で親を頼りやすく感じてくれるかもしれない。
そう信じて、今日も我が子の味方であるべくお父さんは奮闘していくのである。